大まかな流れ
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◆2004年10月 激しい顔の浮腫みを訴える。 レントゲンの結果、その日のうちに『国立国際医療センター』に検査入院。 1ヶ月の検査入院で、『ホジキンリンパ腫』と診断される。 ◆2004年12月~2005年10月 ABVD療法が始まる。 実家から比較的近い『静岡がんセンター』に転院、通院。 5クール程終えたときの途中経過で、効果なし宣告。 ACES療法に変更。 3クール行うが、効果なし宣告。 大きさ変わらずして放射線治療を行う。20G行う予定だったが、12程行った後の途中検査で、効果無しと宣告。 『国立がんセンター』をセカンドオピニオンとして紹介される。 自家移植を勧められる。 が、それにしてもまだ自家移植成功するような腫瘍の大きさではなかったため、腫瘍が小さくなるまで、CHOP療法を数回実施。無期限で小さくなるまでやり続ける方針になった。 ◆2005年10月~2006年2月 先が見えなく、当時は医師もてんてこ舞いのご様子だったし、身体もボロボロになった為、自家移植はやめ、いわゆるがん細胞を『叩く』治療を一切止め、西洋医学から離れる。 相当考えた結論だった。 10月頃から、東洋医学、免疫療法を色々試す日々が始まる。 浅草で温熱療法、御茶ノ水で針、など、色々試す。 放射線や抗がん剤などの副作用が来る。やせ細る。炎症の値CRPが急増し始め、肺炎の恐れが出てくる。食欲も無くなる。 ◆2006年2月~7月 腫瘍の大きな変化無く、段々と食欲戻ってくる。 喉がおかしくなる。炎症が原因か? 抗がん剤などは使用しないが、『がんセンター』へ『定期検診』と『緩和ケアセンター』へ通う。 信濃町の病院にいく事や、バンド活動も諦めたくないが為に、別になんも良くなってないのに、この1年半のフラストレーション、ストレスを開放しなきゃだめだと思い、4月から都内に一人暮らし開始。 ◆2006年7月~◆ 一人暮らしでとても楽しく有意義な時間を過ごせた半面、色々とおかしな感じになり、入院。無理をしすぎたことに気付く。 改めて自分の身体について考え直す。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★ ☆★☆★☆★☆★☆★☆★ ●私的新譜MEMO● *ALBUM* ROVO KULA SHAKER7/26 THE MARS VOLTA8/2 SLIME BALL8/2 MSTRKRFT8/9 THE ROOTS8/23 KASABIAN9/6 BASEMENT JAXX 9/6 SPARTA LOCALS9/6 PIZZA OF DEATH RECORDS×2 9/6 The Sun Calls Stars9/27 the band apart10/4 *SINGLE* *DVD* toe 7/26 ROVO 以前の記事
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明らかに焦りがみえる。
今じゃなきゃ駄目なんじゃないかと焦る。 今始めないと、今を逃したらもう駄目なんじゃないかと。 今は物凄くやる気に満ちている。 それをこの病気が壁となり立ちはだかっている。 ソレが悔しい。 焦り。不安。 『長い目で見て』いたらいつまで経っても同じ。 実家に帰り、また同じ生活を繰り返しながら、何も考えず病気と向き合いっぱなしの生活をし、逃げ場のない毎日を繰り返す方法。 これなら、実家だし俺の面倒も見てくれるし、何かあっても助けてくれる人もいる。 それとも 今しかない『やる気』を信じて自分のやりたい事を病人ながらもマイペースに頑張る方法。要は『祐天寺』に住み、生活する。 親は勿論、助けてくれたり、面倒みてくれる人はいない。 が、やりたい事は十二分にできるだろう。病院も近い。 今の自分の状況が全く分からない。 良くなりつつあるのか、その逆か。 右胸の凸も当初よりは退けてる気がする。 でもたまぁぁに痛いと言うよりキュンてつつかれたりする。キュンて。 状況は医者にも分からないようだった。 『長い目で見るしかないでしょう。』って。 どの程度なんだろう。 何も分からない。 何も分からない状況での治療は果たして良いことなのだろうか。 とにかく、もうこれ以上後悔はしたくない。 もうこれ以上何も失いたくない。
by drunken_hearted
| 2005-09-10 22:16
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